『Fate / stay night』

自己を省みない人間には二種類あって、1つが幼児で、もう1つが王だ。

 

1. あらすじ

「Fate/stay night」公式ページ

 

2.プレイした経緯

2014年に放映してたFate/stay night [Unlimited Blade Works](3つある内の2つ目のルートをアニメ化したもの)を見て初めてFateに触れてドはまりした。2017年にHeaven's Feel(3つ目のルート)が劇場版で公開される予定なので、その前に原作をプレイしておこうと思った。

Fateは元は声なしの成人向けPCゲーだが、PS2PSPで声付き全年齢版が出ていて、1つ目のルートはスマホでただでできる。ただ私はどうしても18禁シーンを見たかったのでアキバで中古のPC版を買った。

 

3.感想(主にUBW)

むちゃくちゃ抽象すると、「自己肯定」が作品を通して一本筋の通った主題だったように思う。

 主人公の衛宮士郎は、3つあるルートでそれぞれ異なる苦境に陥るのだが、どのルートにおいても自らに与えられた運命、自らが選択した人生を後悔せず、それを肯定していく。その主人公の姿に、他のキャラクターも感化されていく。

 

その自己肯定はもはや狂気に思えた。だが、同時にどこか懐かしいような気もした。

 懐かしい気がしたのは、主人公の生き方が自分が子供のころを思い出させたからだろう。主人公はいわば大きな子供だ。 主人公は「正義の味方になる」という自分の夢を捨てず、それが不可能かもしれないと心のどこかで気づきながらもそれを信じて追い求めていく。

 みんな子供のころは主人公とは異なる形であっても何かしらの夢を持ち、それがかなえられるものだと信じて疑わず、全能感のもとに生きてきたはずだ。しかし、年齢が上がって周囲が見えるようになり、他人と触れ合うようになるにつれて、挫折を味わい、自分がとるに足らないものだと知り、その全能感は失われていく。

それは社会で生きるために必要なプロセスでもある。自らを他者と比較し、集団の価値基準を自己に取り入れて、自らを集団の中に位置づけ客観的に判断できるようになることは、俗に「大人になる」と言われていることだと思う。

 主人公はそのプロセスを経ていないように思える。主人公は決して挫折せず、他人の忠告を聞かず、自分の夢をかなえるために自分の選んだ道を愚直に進んでいく。

 

これは幼稚な生き方であるが、同時に王様の生き方でもあると思う。

王様は自分が法であり、自分の価値基準が自分の統治する社会の価値基準と同じであるがゆえに、決して挫折を知らず、後悔しない。たとえ自分が裸であっても(ギルガメシュやzeroのイスカンダルを見よ)。

 

主人公に感化されるキャラクターに感情移入して、主人公のようにいつでも自分の選択が「正しい」と感じられるように生きれたら、と思った。社会で生きていく限りそれは無理なのだが。

子供のころのような気持ちに戻ることができてすごいよかった。

『山賊ダイアリー』岡本健太郎

ダンジョン飯から飯マンガをあさってて見つけた。

山賊ダイアリー(1) (イブニングコミックス)

山賊ダイアリー(1) (イブニングコミックス)

 

 

1.あらすじ

作者が猟師で、猟の様子や獲った動物を食べた体験をマンガにしてある。猟の細かい情報(どれが狩猟鳥獣かとか、道路から銃を撃ってはいけないとか)や、カラス等ジビエ飯の味とかが書いてあって、知的好奇心が満たされる。

 

2.感想

ダンジョン飯を読んでから飯マンガおもしろいなと思い、いろいろ読んでみた(極道めしきのう何食べた?等)のだが、なにか物足りない感じがあった。

 

それはサバイバル感だった。

小学生のころ、十五少年漂流記とか神秘の島とかのサバイバルものにはまった時期があって、「ウミガメのスープとか食うのかよ~、きもいけどちょっと食べてみたいな」とか思いながら読んでいた。

 

山賊ダイアリーはそんな自分がまさに読みたかった飯マンガで、ダンジョン飯以降の飢えていた自分のサバイバル飯マンガ欲を満たしてくれた。

 

猟師のコミュニティーの話も秀逸で、作者と一緒に狩りに行く友人が、作者の奇行(ヌートリアを食べたり等)に引く様子がおもしろかった。

 

ただ、ダンジョン飯よりも飯がまずそうで、それは残念だった。

 

 

『スキャナー・ダークリー』フィリップ・K・ディック

麻薬乱用は病気ではなく、ひとつの決断だ。しかも、走ってくる車の前に飛び出すような決断だ。(p.453)

 

スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)

スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)

 

 

あらすじ

ハヤカワ文庫のあらすじをそのまま引用する。

カリフォルニア州オレンジ郡、覆面麻薬捜査官フレッドことボブ・アークターは、流通し始めた新種の麻薬・物質Dの供給源をつきとめるため、おとり捜査を行っていた。自ら物質Dを服用して中毒者のグループに侵入した彼は、有力容疑者としてボブを監視するように命じられる。自分自身の行動を見張るうちにボブ=フレッドの意識は徐々に分裂していく・・・。ディックの最高傑作との声も多い、超一級のアンチ・ドラッグ・ノベル

 

感想

薬中のリアリティ

あらすじからして、何が「現実」なんだ的なぐちゃぐちゃな話を期待して読んだら、意外とそうでもなくて、語り手が分裂していくというギミックはありながらも、主人公がドラッグに溺れて燃え尽きる(人としての通常の生活ができなくなる)までを描いた、割と筋の通ったストーリーだった(ぐちゃぐちゃではあったが)。

ディックの本でよくテーマになる「現実性=アイデンティティの揺らぎ」は、この本だと若干背景に引いていたように思う(とはいえ、スクランブルスーツや物質D等のガジェット、タイトルが「スキャナー=目=自我」「ダークリー=おぼろげな」であることからも、その点がテーマの1つであることは間違いないと思うが、少なくとも『ユービック』や『流れよわが涙、と警官は言った』ほど強烈には感じなかった)。

 

その理由だが、おそらくこの本がディックの体験に大きく依拠した作品だからだと思う。孫引きになるが、あとがきで引用されていたディックの本書に対するコメントを引用する。

「・・・わたしは、ドラッグ・サブカルチャーの中で知り合った人々の記憶を紙の上に書き留めておきたかった。彼らのことを記録に残すために、あの小説を書いた。」

「いちばんの問題は、彼らの言葉の調子が耳から消えてしまわないうちに、彼らの声を紙に書きつけられるかどうかということだった。それには成功したと思っているよ。いまではもう、あの連中のことを書くのは不可能だろう。『スキャナー』を読みかえすと、彼らが生き返ってきたような気がする。」(p.465)

ディック自身の実際の経験を元に書かれた作品であったから、現実性の揺らぎの要素は薄まったのだと思う。その代わりに登場人物の薬中たちから異様な現実感を感じた。

薬中のカップルの口論や、ラリったあとのくだらない会話(ハシシを隠して税関を超えるために、ハシシの塊を人の形にくりぬいて彫像にして中にモーターをいれて税関を通らせようぜ、とか)が、いかにもほんとに話してそうな感じだった。

 

そんなくだらない会話や、幻覚や、脅迫的な思い込みにさいなまれている描写の合間に、サブリミナルのように悲しみを誘う描写が挟まっていて印象に残った。

例えば上で触れたハシシの彫像のバカ話は、ふとした拍子に燃え尽きた知人(床の上に糞尿をし、オウムのように同じことを繰り返して話すだけになった)の話になり、重い沈黙にとってかわられる。

別の逮捕された薬中の女は50歳ぐらいに見えたが、年齢を聞くと19歳で、警官に鏡で自分の姿を見せられて泣き出してしまう。

 

薬中の登場人物たちの全てに、暗い影が付きまとっていた。

 

本作のテーマ

本作はあらすじでは「アンチ・ドラッグ・ノベル」として紹介されているが、本作や著者あとがきでのディックの薬物乱用に対する姿勢は、「アンチ・ドラッグ」という字面から私が受けた印象とは異なっていた。

 

ディックは作中を通して「薬をやる人間=悪」という描き方をしていない。

「これだけはいわせてください。ヤクにはまったからといって、その人間のけつをけとばさないように。ユーザー、つまり、常用者をです。彼らの半分、いや、大部分、とりわけ若い女たちは、いったいなんにはまりこんだのか、いや、なにをやっているのかという自覚さえない。・・・」(p.48)

 

では何が悪なのか。

答えは、中毒者に「薬をもたらす社会の仕組みそのもの」である。これが本作の最重要なテーマであると思った。

主人公のアークターは薬の出どころを探すが、薬の密売ルートは複雑に入り組んでいて、見つけることができない。中心をなくした悪が取り除きようのないほど奥深くに潜り込んでいて、いつのまにか誰もが悪に加担してしまっており、その結果として無関係な個人が犠牲になって死んでいく。

そのような、社会の背景にあるとらえようのない見えない大きなメカニズムとして、悪が考えられているように思った。

 

終盤の女の独白が上の答えを暗示しているように思える。好きなので引用したい。

どうしてこんなことが起きるわけ?それはこの世界に呪いがかかってるからよ。・・・それがはじまったのは、きっと何千年も前にちがいない。いまでは、あらゆるものの性質のなかへそれが染みこんじゃってる。そして、あたしたちみんなの心のなかにもだ。どんな人間も、それをしなくては、向きを変えることも、口をあけてしゃべることも、なにかを決めることもできない。・・・いつの日か、あざやかな色の火花の雨がもどってきて、こんどはあたしたちみんなでそれを見られたらいいのに。せまい戸口。その向こう側にあるのは平安。彫像、海、それに月明かりに似たもの。なにひとつ動かず、なにひとつその静けさをかき乱さない。(p.386)

 

meganeza.hatenablog.com

 

『カウント・ゼロ』ウィリアム・ギブスン

「お疲れの様子ですね」

と言いながら、パコはスクリーンを畳み、電話器をバッグに戻すと、

「あの男と話したあとは、老けこんで見えますよ」

「そう……」

どうしたわけか、今、ロバーツ画廊のあのパネルが眼にうかぶ。あの、たくさんの顔。『死者たちの名の書を読み上げたまえ』。たくさんのマルリイたち。青春という長い季節の間、自分がそうだった、たくさんの少女たち。(p.201)

カウント・ゼロ (ハヤカワ文庫SF)

カウント・ゼロ (ハヤカワ文庫SF)

 

 

好きな作家は?と聞かれたらギブスンと答えてるけど、『ニューロマンサー』と『クローム襲撃』しか読んでなかった。『カウント・ゼロ』は中古でプレ値で買った(3500円)。

 

あらすじ

①バイオテクノロジー企業から主任技術者の脱出計画を任された傭兵の話と、

②世界有数の大富豪から謎のアートの製作者を見つけることを依頼された美貌の美術商の話と、

③カウボーイ(電脳空間に入るハッカー的なやつ)にあこがれて初めてジャックインして死にかけたところから騒動に巻き込まれていく少年の話の、

3つが同時並行して進んで絡み合っていく。

 

感想

ギブスンは好きだが正直長編は苦手だ。筋がわかりにくくてついていけない。ダームやらクロームやらのガジェットまみれでむちゃくちゃな中を、薬をきめて電脳に入ったり出たりするから、何が何だかわからなくなる。一番有名な『ニューロマンサー』はまさにそんな感じで、いまだに最後の方がどうなったのかよくわかっていない。

 

じゃあなんでギブスンが好きなんだと聞かれると、ときどきはっとするような美しい場面がふと描かれているからだと思う。『カウント・ゼロ』でもそうだった。

 

冒頭に引用した場面は本作で特に印象に残った場面の内の一つで、あらすじの②の主人公のマルリイが、元恋人の男と取引の電話をした後に、画廊で見た絵(分厚くむらになったニスの被膜の下に、若い娘の写真を何百枚も重なり合うように貼り合わせたもの)を思い出している場面だ。

マルリイは、元恋人と商売上の電話をしたあと、元恋人に対して今や嫌悪感しか抱かないことを知り、疲れ切って電話を終える。そして、なぜか画廊の絵を思い出してしまう。

 

この場面でマルリイは画廊の絵の少女に感情移入している。

画廊の絵の若い少女は元恋人に恋をしていたころのような若いころのマルリイであり、そのころの無数のきらめく思い出が何百枚も重なり合う写真のように思い出されているが、それが今や分厚いむらになった汚らしいニスのような、嫌悪感と倦怠の向こうにかすかに透けて見えるだけになっていることを知る。

絵画の題名は『死者たちの名の書を読み上げたまえ』で、無数の写真の少女に同化している若いころのマルリイはすでに死んだもの、二度と戻れないものとして想起されている。

一方で、ニスは写真の少女を見えにくくするだけのものではなく、少女を保存するものでもある。現在のマルリイは「老けこんで見える」が、写真の少女=若いころのマルリイは、思い出の壁に分厚く隔てられることで、いつまでもきれいなままでいられるのだ。

 

この場面が本当に好きだ。過去が美しく思い出される経験が、絵やニス等のモチーフを使ってすごく鮮やかに描写されている。

 

でもこの場面だけではなくて、魅力的な場面がカウント・ゼロにはたくさん出てくる。マルリイの話のクライマックスはこの場面と同じくらい好きだ。

 

また、3つの話の内他の話は、マルリイの話のような感傷的な色彩は抑え目で、もっとサイバーパンクしてたりハードボイルドしていたりして、一冊で違った雰囲気を味わえる。感傷的すぎるのはちょっと、という人も気に入る話があるかもしれないので、ぜひ。

 

一番の困難は絶版であることだ。

ハヤカワ文庫補完計画での復刊を願っていたが、普通になかった。よし!プレ値で買おう!

 

ギブスンの作品の傾向

ギブスンの作品は、上で引用した場面のように、倦怠感や現実に対する嫌悪感、そこからくる自殺願望のようなものがよく描かれている気がする。

少なくとも自分はギブスンの作品のそういうところに惹かれていて、精神的に健康な傾向ではないように思うが、救いになっている。

『クローム襲撃』に入っている『冬のマーケット』がもろにそうで、一番好きだ。後ろ向きな人にギブスンを勧めたい。

 

 

『三好さんとこの日曜日』三好銀

よかった感覚だけ残っててまったく言語化できない

 

三好さんとこの日曜日 (Spirits neko comics)

三好さんとこの日曜日 (Spirits neko comics)

 

 

あらすじ

夫婦と猫一匹の何気ない日曜日を描いた連作短編集。

 

感想

小唄の発表会を聞きに行くと約束してしまったので出かけようとするが、直前になって女の方がふとんに入って「やっぱり行きたくない」等、よくありそうな夫婦の掛け合いに猫が絡んで、小気味よく話が続いていく。

 

その間に、ノスタルジックな話が挟まる。天井から前の住人のオルゴールが見つかる話とか、一年前に何か言いかけた言葉を思い出そうとして一年前と同じように過ごしてみる話とか、空いてるアパートにこっそりしのびこんで過ごす話とか。

 

くだらなく何気なく生きた日曜日でも一日として同じ日はなくて、その分だけ着実に寿命は短くなって帰れない過去が増えていくんだと思った。

『ローカルワンダーランド』福島聡

福島聡の新しい短編集が(2冊同時に)出た!

 

 

あらすじ

SF風味のいろんな話が入った短編集。SFっぽいことぐらいしかそれぞれの短編に共通項がなくて、全然説明できない。すごい。

 

 

福島聡

福島聡は本当に不思議なマンガ家だと思っていて、この人のような作品を描く人をほかに思いつかないんだけど、でも何が他と違うんだと言われると全然うまく説明できない。本当に不思議だ。

 

無理やり福島聡のマンガの特徴をあげるとすると以下のような点があると思う。

 

・人物の外見描写は写実的だが、内面描写はキャラクター的であること

絵は写実的ですごくうまい(女の子もかわいい)一方で、内面描写についてはすごくマンガ的で極端に単純化したキャラクターを描くことが多いように思う(『星屑ニーナ』のニーナなんかがわかりやすくそうで、目の前の楽しいことだけ考えているようなキャラ造形がなされている)。

その外見と内面の描写レベルのギャップがものすごい違和感を生み出してて、登場人物が大体壊れて見える。

作者自身も壊れたキャラクターを描くのが好きなのか得意なのか、作品中によく登場させているように思う。あとは、大人程内面が複雑化していないため、子どもを描くのなんかも得意にしている気がする(『少年少女』という傑作の連作短編がある)。

もし福島聡の絵柄が、手塚治虫みたいな記号的なものであれば、全然なにも感じなかったんじゃないかって思う。

 

・メタ的な話の展開がよく行われること

今までの話は実は幻覚でしたとか、そういうお約束を破る話の展開がよくなされる。特に長編でその傾向が顕著で、確か今まで出てる長編作品のほとんどにその要素が入っているはずだ(『デイドリームビリーバー』と『機動旅団八福神』)。

マンガでP.K.ディックのような現実崩壊感を味わえるので、ディックが好きな人は気に入ると思う。

 

・短いまとまりでの話の展開がうまい一方で、作品全体としてみるとプロットが崩壊気味であること

一つ上の特徴とも関係するが、短い話を描くのはうまくて、ネタの発想も奇想天外だしオチに印象的な絵ももって来たりして、ほんとうにすごい。

一方で長編になると、一つ一つの短編をつなげていくような形で長編を発想していくのか、全体としてみると意味不明な仕上がりになっていることが多い。

短編が長編から独立して存在感を持ってしまっていて、話の本筋とあまり関係ない小話が異常におもしろかったりする(『星屑ニーナ』の4巻のハナミズキの女の子の話がとても好きだ)。

 

 

感想

本当に全部の話の趣向がばらばらで、全然飽きずに読めた。どの話も別の楽しみ方ができる。とにかくおもしろかった。

 

共通項をあげるとすれば、キャラクターっぽさと人間らしさの対比を話づくりの中心においてる作品が多かったように思う。

 

例えば1巻の方に収録されている『3030年東京オリンピック』なんかがそうで、ロボットっぽい女の子が人間らしさを見せるのだが、この話は本当に最高だ。最高最高最高。

 

あとは2巻の方に収録されてる『ストレート・アヘッド』や『もしも○○が××だったら』なんかは、キャラクターっぽい描かれ方をしている登場人物と、比較的深めの内面描写がなされていて人間っぽい登場人物が対比的に描かれている。

 

結論として、福島聡の描くマンガは他の作家で得られない唯一無二の感覚を与えてくれるので、今後も元気にマンガを描いてほしい(ちなみに『少年少女』がいちばんおすすめ)。

 

『スローターハウス5』ジョージ・ロイ・ヒル(原作:カート・ヴォネガット)

カード・ヴォネガット原作の小説の映画版。

前から見たいと思っていたがDVDで安いのが出ていたので買って見た(パッケージの背表紙部分に「続・死ぬまでにこれは観ろ!」と書いてあってダサい)。

 

 

あらすじ

宇宙人にさらわれて時間の流れから解き放たれた主人公の一生が、過去の二次大戦でのドレスデン空爆の経験を中心に、ばらばらの時間軸で語られていく話。

 

感想

結論としては死ぬまでに見なくてもいいなと思った。

とはいってもおもしろくなかったわけではなくて、ふつうにおもしろいのだが、やっぱり小説が好きなので、なかなかどうも小説との違いばかり目についてしまって、うまく作品に入っていけなかった。

あとは、昔の映画のためSF的な表現がチープで、そこでもうまく入り込めなかった。

 

では小説の方を死ぬまでに読めばいいのかと言われると難しい。好きな人は好きな作品だと思うが、多くの人はそうではないと思うからだ。

 

悲しみは時間が可逆的に流れるからこそ生じるものだと思っているが、本作の主人公は、宇宙人にさらわれたことによって可逆的な時間の流れから解き放たれてしまっていて、そのためにあらゆる悲しい出来事に対して普通の人間のように悲しむことができなくなってしまっている(例えば、原作では、人が死ぬ場面が描かれるたびに、「そういうものだ」という文が挟まれる)。

人として生きることをやめて人生を眺めているような深い諦念が本作には漂っていて、そういうのが好きな人にはかけがえのない作品になると思う。

 

原作と映画の比較

本作を映画で見るデメリットは、小説の文体の妙を楽しむことができないところだ。小説では、上で書いたような「そういうものだ」や、「聞きたまえ、ビリーピルグリムは時間のなかに解き放たれた」など、印象的な文章がいっぱい出てきて、それらを味わうことができないのは残念だ。

 

逆によかったところは、音楽が美しかったところだ。ところどころ挿入されるグレン・グールドのピアノが場面にもあっててよかった。

 

あと、映画と小説で違うなと思って印象的だったのは、映画ではドレスデンでドイツの少年兵に焦点を当てて描かれていたところだ。

少年兵が女の子の前でかっこつける様子と、空爆の後の変わり果てたドレスデンの風景に絶望して走って行ってしまう様子との対比で、空爆の悲惨さがよりわかりやすく表現されていた。

 

でもなんだかんだ言って、好きな作品をビジュアルで補完できたので、そういう意味で見てよかった。スローターハウスの汚さや、空爆後のドレスデンの悲惨さは印象に残るものだった。