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『昆虫はすごい』丸山宗利

ブラジルの洞窟に生息するトリカヘチャタテというカジリムシ目の昆虫では、雌に陰茎状の器官があり、それを雄の膣状になった交尾期に挿入し、精包を吸い取る(p.85)

等の昆虫の不思議で多様な生態が、「狩り」「生殖」など項目に分けて数多く紹介されており、おもしろかった。

 

昆虫はすごい (光文社新書)

昆虫はすごい (光文社新書)

 

 

昆虫の生態には、生きるための必死さが現れており、その赤裸々さが残酷に思えるときがある。自分が生き残り、子孫を残すためには、他の生物を利用することもいとわない。
人である私も、生きるためにほかの生物を食べたりしているが、普段の生活ではそれを意識せず、ほとんど忘れてしまっている。昆虫の生態は、生きるということの根本的な残酷さを思い出させてくれる。

その意味でもっとも残酷だと思ったのが「寄生」だ。

「寄生蜂」と総称される種類の蜂は、別の虫などの体内に卵を産み付ける。卵は体内で孵化し、孵化した幼虫は宿主の体を中から食べて成長する。最終的に、体を食い破って成虫となる。

寄生する虫の中には、宿主を自分たちの都合のよいように操作するものもおり、例えば、カマキリなどに寄生するハリガネムシは、水中で交尾を行うため、成長すると宿主のカマキリを操作して水辺まで移動させ、そこで体内から出てくるという(p.46)。

寄生が残酷だと思うのは、虫を人に置き換えて考えたときに、対象を自分の生存のための道具としてしか扱っていないからだと思う。

人間の生きる目的は一つではないと思う。私は誰か・何かのために生きているわけではない。私の一つ一つの行動は、本能によって自己保存のために緩やかに統御されているのかもしれないが、少なくとも意識のレベルでは、何か1つの人生の目的をもっているわけではない。

寄生はそれを変えてしまう。目的から自由であった生を、別の生き物の苗床としての役割しかなくしてしまう。他者を人から道具に変えてしまう。

そう考えると、寄生に感じる残酷さの本質は、他者を道具化することにあるのかもしれない。