『カウント・ゼロ』ウィリアム・ギブスン

「お疲れの様子ですね」

と言いながら、パコはスクリーンを畳み、電話器をバッグに戻すと、

「あの男と話したあとは、老けこんで見えますよ」

「そう……」

どうしたわけか、今、ロバーツ画廊のあのパネルが眼にうかぶ。あの、たくさんの顔。『死者たちの名の書を読み上げたまえ』。たくさんのマルリイたち。青春という長い季節の間、自分がそうだった、たくさんの少女たち。(p.201)

カウント・ゼロ (ハヤカワ文庫SF)

カウント・ゼロ (ハヤカワ文庫SF)

 

 

好きな作家は?と聞かれたらギブスンと答えてるけど、『ニューロマンサー』と『クローム襲撃』しか読んでなかった。『カウント・ゼロ』は中古でプレ値で買った(3500円)。

 

あらすじ

①バイオテクノロジー企業から主任技術者の脱出計画を任された傭兵の話と、

②世界有数の大富豪から謎のアートの製作者を見つけることを依頼された美貌の美術商の話と、

③カウボーイ(電脳空間に入るハッカー的なやつ)にあこがれて初めてジャックインして死にかけたところから騒動に巻き込まれていく少年の話の、

3つが同時並行して進んで絡み合っていく。

 

感想

ギブスンは好きだが正直長編は苦手だ。筋がわかりにくくてついていけない。ダームやらクロームやらのガジェットまみれでむちゃくちゃな中を、薬をきめて電脳に入ったり出たりするから、何が何だかわからなくなる。一番有名な『ニューロマンサー』はまさにそんな感じで、いまだに最後の方がどうなったのかよくわかっていない。

 

じゃあなんでギブスンが好きなんだと聞かれると、ときどきはっとするような美しい場面がふと描かれているからだと思う。『カウント・ゼロ』でもそうだった。

 

冒頭に引用した場面は本作で特に印象に残った場面の内の一つで、あらすじの②の主人公のマルリイが、元恋人の男と取引の電話をした後に、画廊で見た絵(分厚くむらになったニスの被膜の下に、若い娘の写真を何百枚も重なり合うように貼り合わせたもの)を思い出している場面だ。

マルリイは、元恋人と商売上の電話をしたあと、元恋人に対して今や嫌悪感しか抱かないことを知り、疲れ切って電話を終える。そして、なぜか画廊の絵を思い出してしまう。

 

この場面でマルリイは画廊の絵の少女に感情移入している。

画廊の絵の若い少女は元恋人に恋をしていたころのような若いころのマルリイであり、そのころの無数のきらめく思い出が何百枚も重なり合う写真のように思い出されているが、それが今や分厚いむらになった汚らしいニスのような、嫌悪感と倦怠の向こうにかすかに透けて見えるだけになっていることを知る。

絵画の題名は『死者たちの名の書を読み上げたまえ』で、無数の写真の少女に同化している若いころのマルリイはすでに死んだもの、二度と戻れないものとして想起されている。

一方で、ニスは写真の少女を見えにくくするだけのものではなく、少女を保存するものでもある。現在のマルリイは「老けこんで見える」が、写真の少女=若いころのマルリイは、思い出の壁に分厚く隔てられることで、いつまでもきれいなままでいられるのだ。

 

この場面が本当に好きだ。過去が美しく思い出される経験が、絵やニス等のモチーフを使ってすごく鮮やかに描写されている。

 

でもこの場面だけではなくて、魅力的な場面がカウント・ゼロにはたくさん出てくる。マルリイの話のクライマックスはこの場面と同じくらい好きだ。

 

また、3つの話の内他の話は、マルリイの話のような感傷的な色彩は抑え目で、もっとサイバーパンクしてたりハードボイルドしていたりして、一冊で違った雰囲気を味わえる。感傷的すぎるのはちょっと、という人も気に入る話があるかもしれないので、ぜひ。

 

一番の困難は絶版であることだ。

ハヤカワ文庫補完計画での復刊を願っていたが、普通になかった。よし!プレ値で買おう!

 

ギブスンの作品の傾向

ギブスンの作品は、上で引用した場面のように、倦怠感や現実に対する嫌悪感、そこからくる自殺願望のようなものがよく描かれている気がする。

少なくとも自分はギブスンの作品のそういうところに惹かれていて、精神的に健康な傾向ではないように思うが、救いになっている。

『クローム襲撃』に入っている『冬のマーケット』がもろにそうで、一番好きだ。後ろ向きな人にギブスンを勧めたい。