BLAME!劇場版は弐瓶初期作品厨という糞せまニッチで暮らすサブカル諸氏にとってめぐみの雨であったことだろう。
私は回転する偽装端末の周りをペースを合わせて歩くシボを見たときの衝撃でいまだに動機がするし手が震えているし汁も漏れ続けている。最高だった。
色眼鏡のかかった評価になるが、信者以外の人にとっても、なかなか癖がありつつも普通に楽しめる、見て損はない作品に仕上がっていたと思う。
しかし、手放しでほめてよいものだろうか?
以下思ったことを書く。
気になった点
1.説明っぽさを感じたこと
BLAME!原作は説明があまりにもなさ過ぎて何度も繰り返し読まないと意味不明なレベルだが、逆に説明が極力排されていることで読者の想像にゆだねられる範囲が多くなり、むしろ作品世界のリアリティを保っていた面もあると思う。
一方映画では、マンガのように止まったり戻って見返すことできないメディアでもあり、またマス向けを意識せざるを得ないメディアであることもあって、その原作をできるだけ一度で万人に理解できるように作品設定の説明が丁寧にされていたように思う。
それが登場人物の口を通してされるために、説明臭さを感じる場面が多く、また想像の余地が減って原作のリアリティが薄れて中途半端なものになってしまっている感があった。(ネット端末遺伝子の話を5回ぐらい聞いた気がする。それでも捨造が理解してなくて笑った)
解決策としては、原作に忠実にする or 設定から改変しまくって完全大衆向けのアニメにするのどちらかに寄せるぐらいしか思いつかないが、それは原作あり映画の姿勢としてよいのか、と思うのでどうしようもなかった気がする。
むしろ上記のような安易な解決策に頼らず、原作の良さを残しながらできるだけ大衆向けにしようと努力がなされていたのは個人的にはよかった点だった。
2.感情の移入先の設定がうまくいっていないように思えたこと
主人公の霧亥が無口過ぎて、感情移入先として役立たず(原作どおり)であるため、代わりの感情移入先を設けるのにすごく苦労しているように思えた。そこで代わりとして用意されたのが電気猟師の人々だったのだと思う(インタビュー記事に書かれていた)が、それが後半の展開と会っていなかった気がした。
弐瓶の初期作品は「孤独さ」が魅力だと思っていて、登場人物が新しく出ては少しの間主人公とランデブーをして、すぐにいろんな形でフェードアウトしていく。味方はすぐ死んだり別の生き物に変身してしまうし、敵はコミュニケーションが成立する余地もなく襲い掛かってくるので戦わなければならない(すぐ死ぬ)。
他人とつながりができたかと思うと奪われてしまう描写が何度も繰り返し出てくるが、そんな中を霧亥は変わらず1つの「ネット端末遺伝子を探す」という目標を抱いてもくもくと歩いていく。
「結局他人は他人で、一人で生きていかないといけないんだなあ」としみじみ思わされるところが、原作の魅力の1つだと思っている。
映画では、上で述べた通り、感情の移入先が電気猟師に設定されており、電気猟師に感情移入してみる我々が感動できるよう、電気漁師が「困難を克服すること」によって感動を与えるような話づくりがされていたように思う。
でも電気猟師は原作では他の登場人物の例にもれずすぐフェードアウトする役回りの人たちで、原作リスペクトによるその辺の展開も微妙に採用されており、それが困難の克服的な方向性と微妙にあっていなかった気がした。一方では原作どおりむちゃくちゃに蹂躙され、一方では勝利、みたいな、結局どっちに捉えればいいの?というちぐはぐな感じを受けてしまった。
でもこれは自分が原作に引っ張られすぎた鑑賞をしてしまったかもしれない。
この点も解決策としては霧亥をものすごくヒロイックな主人公にして、感情移入できるようにキャラ設定を変えてしまう等の方法も考えられたが、上述のとおりそのような解決策はこの映画ではとられておらず、よくも悪くも原作に忠実で、片言で「おれは。。。ネット端末遺伝子を探している。。。」としかしゃべらないおよそ主人公らしくない設定のままであった。
この点も原作を残しながら大衆向けにするために苦慮した結果だったのだと思う。
最高だった点
1.動いていたところ
最高
2.デザイン
神
3.話の構成
再確認したが、BLAME!はわかりにくい世界設定と説明のなさから意味不明な作品に思えるが、話の展開の方はその実しっかりしていて、盛り上がりの場面がきっちり設けられている。映画になって、その辺の構成の良さがあらためてわかった。
映画オリジナルの展開の部分も、違和感なく原作につながっててよかったと思う。
4.フェティシズムを感じる描写
弐瓶らしいフェティシズムを感じる描写が随所にあって、最高だった。
シボのあのハイヒールのコツコツ歩く感じ!!!とか、電気猟師のヘルメットの顔と顎の覆いが連動してる感じとか!!!
涙がでるわ。。ほんとに。
弐瓶好きならまちがいなく満足できる。はなまる
4.音響
BGMがEDMっぽくてかっこよかったし、音響にもこだわりを感じた。シボのハイヒールのコツコツ音やセーフガードの歩くカチャカチャ音とか、電気猟師の打つボウガンみたいなやつの金属音なんかは、強調されていて存在感があった。
5.原作リスペクト
散々上でも述べてきたが、原作リスペクトが端々に感じられて良かった。
原作の設定とか話の展開を残しながら映画としておもしろくしようという姿勢がうかがえたし、原作の名ゼリフなんかも場面を変えて使われていたりだとか、原作の別の場面で出てきた場所(自動工場とか!あと電気漁師が一晩泊まった窓のいっぱいあるとこは9巻のシボが建設者と暮らしてたとこ?また、映画の霧亥の初登場シーンは原作のドモチェフスキーと霧亥が初めて会うとこか?)が出てきたりして、すごい満足した。うう。
総評
弐瓶好き、BLAME!好きには文句なしで勧めれる。シボやサナカンが動いているだけでほんと。。弐瓶作品に触れたことがない人にとっても、作品としておもしろく鑑賞できつつ、弐瓶作品の癖とか原作の雰囲気を感じられるものになってると思った。ぜひBLAME!劇場版を入り口にして、他の弐瓶作品も読んでほしい。
正直私は最近の弐瓶の作品があまり好きではない。大衆向け作品を志向するのはいいと思うが、その方法がいかにもマンガ的な描写をとってつけたような気がしてしまい、どうも受け付けなかった。
そんな私にとってもBLAME!劇場版はよかった。
最近の作品はどんどん自分が好きだった弐瓶の作品から離れていってしまって悲しさを感じていたが、BLAME!劇場版は原作の良さを残しながら大衆に受ける作品を目指しており、BLAME!原作へのリスペクトを感じさせる作りに感動した。。。
弐瓶自身は過去の自分の作品制作スタンス(「面白いものにしよう」と思っていなかったこと)を否定してる(https://akiba-souken.com/article/30072/)から、原作リスペクトは弐瓶自身ではなく他のスタッフによるものなのかもしれないけど。。
弐瓶も過去の作品の価値を棄て去らずにいてほしい。完全に個人的なあれだが。
人形の国も読みます。
でも安易に裸とかギャグっぽい描写を放り込むのはやめてくれーーー!!!!!