深夜特急 沢木耕太郎

読んでると昔した一人旅行を思い出して懐かしくなった。これまで一人旅行したのは鎌倉、諏訪、東北の三回で、どれも1~2泊ぐらいの小規模なものだった。その中では諏訪の旅行が一番印象に残っている。電車の扉が押ボタン式なのを知らないで扉の前で待っていたことや、小雨の中上下4つの諏訪神社をまわったことや、止まった古い旅館の畳で寝転がりながらシャドウバースをしていたことなど、なんでこんなこと覚えているんだろうと思うような細部もなぜか記憶に残っている。

 

自分が一人で旅行に行くときに特に明確な理由はなかった。一人でいた方が気楽だけど、まとまった休みに何もやることがないので、どうせなら旅行でも行くか、というのがいつもの感じだったように思う。自分のことをそれほど一人旅好きだとは思わないが、3回も行ってるということは嫌いでもないのかもしれない。でも一人旅から得られた経験は、支払ったコストと比較してそれほど多かったのだろうかと考えると悩んでしまう。自分は一人で旅行に行って何かコストに見合う経験を得たのだろうか。なにも思い当たるものがない。旅先で買ったちゃっちいお土産のような思い出のかけらが、そこそこの時間と安くはない費用を支払って手に入れたかったものなのだろうか。

 

この本を読んでも、作者がなぜ旅をしようと思ったのか、旅をして何を得たのかははっきりとは描かれていなかった。異なる文化に触れて感じたことや、住民とのコミュニケーションや、たまの内省が書かれてはいるが、肝心の旅の明確な動機はないままに話が進んでいった。電車を勧める駅員との言い争いの場面で、その動機のなさが表面化していたように思う。駅員から電車を使えと言われているのにバスで行きたいと言い張って、その理由をうまく言えずとにかく行きたいのだと作者が主張するところでは、駅員の方に感情移入して、バスで行きたい理由がなければ電車でいいではないかと思ってしまった。結局、この作者が何でバスで行きたかったのか、そもそもなんで一人旅をしようと思ったのか、この旅によってその目的が達成されたのかは、最後まで読んでもわからなかった。

 

答えが明確に書かれていなかったので、読み終わった後、何が旅の魅力(旅の目的となりうるもの)なのかいろいろ考えてしまったのだが、旅行とは、楽しみのために、(1)出発地から離れて、(2)別の場所に行くこと、だと言えそうだ。

(1)からは、①日々の仕事等の義務・人間関係のしがらみ等、日常におけるネガティブな要素から離れられること、②日常ではなかなか持てなかった一人の時間(または同行人との親密な時間)が持てること、等の魅力が引き出せるように思う。

(2)からは、③異なる文化に触れて自己の価値観を相対化できること、④美しい自然や芸術やおいしい食べ物を楽しめること、⑤旅先で出会うトラブルの解決を通じて達成感を得られること、等の魅力が引き出せるように思う。

 

個人的には、④をもっとも重視しつつ、若干⑤もあればいいなぐらいの気持ちで旅行に行っている気がする。①や②はあんまりないし、③のようなことを特別意識しながら旅行に出たこともないと思う。⑤は、積極的には望んではいないけど、何の不安もないツアーより自分でコースを考えて行く方が好きだし、トラブルに出会った旅の方がなんだかんだいい思い出になっているので、消極的に欲している感がある。

実際には、①②④あたりを目的に旅に出たらそのほかのもごちゃまぜになってふりかかってくる複合性というかランダムさも旅の魅力を構成する要素のように思う。

 

ここまで考えて、旅行には明確な目的はやはりなくてもいいような気がしてきた。最初に何か目的があったとしても、向こうからごった返して魅力が押し寄せてきて、最初の目的ももみくちゃになってよくわからなくなるけど、あとからふりかえってなんかまた行きたいとなるのが旅行なのかもしれない。

 

この本を読んで中東に行ってみたくなった。青空が広がっている砂漠の町というのはとてもよさそうだ。

 

深夜特急1?香港・マカオ? (新潮文庫)

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