今更インターステラーを見た。そして気持ち悪い声を出してぼろぼろ泣いてしまった。 とにかく自分の琴線にふれまくる作品だった。
ストーリーは、娘を持つ父親(主人公)が、滅びつつある地球とそこに住む人類を救うために、移住可能な星を探しに娘を残して外宇宙へ探査に行くというものだ。
以下ネタバレあり
ウラシマ効果後のビデオレター
外宇宙の1つ目の惑星探査は失敗に終わるのだが、その惑星はブラックホールの近くに位置するため時間の流れが歪んでおり(その惑星での1時間は地球での7年に相当する)、その惑星探査が終わって母船に帰った時には地球時間で約20年が経過していた。母船に帰ってから、主人公が、家族から送られてきた20年間分のビデオレターを見る場面がある。
まずここで泣いてしまった。
長男は結婚して子供ができている。父親は死んでしまっている。娘は自分が宇宙旅行に出たときと同じ年になっている。一方で主人公の時間はほとんど経過していない。
主人公は地球の家族と比較するとほとんど時間が止まっていたようなものであり、死者のような存在である。この場面を見て、自分が死んでしまったような気分になった(実際に、主人公の家族は主人公が死んだものとして話しかけてくる)。
あらゆる悲しみは、時間が不可逆的に流れていくから生まれるのだと思った。花が散って、人が死んでも、過去に戻れるならそれは悲しくないはずだ(テッド・チャンも『あなたの人生の物語』で言ってる)。
変わっていくというのは悲しいことだ。変化は新しい喜びをもたらすかもしれないが、だからと言って失われる悲しみを相殺することはできず、喜びの下には悲しみが積もっていく。娘が成長していくのは間違いなく喜びであるが、幼い娘と会えなくなる悲しみはそれとは別問題だ。
そういう時間の経過による悲しみが一気に押し寄せてきて、こらえきれなかった。
時空を超えたコンタクト
作品の終盤に、主人公が時空を超えて娘とコンタクトをとるシーンがある。
こういう表現に弱い。全然だめだ。すぐ泣いてしまう。もっというと、序盤から若干オチを予感していて、その時点で涙ぐんでいた。
時空を超えるというのはすごい。アルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』の終盤のジョウントの場面なんかも好きだ。肉体に縛り付けられた命の制約を飛び越えて、可能性が無限に広がっていく気がする。
人間が生きている以上時間が不可逆的に流れていくことからは逃れられず、時間が経過することから生まれる悲しみからも逃れられない。
なんかそういう人として生まれた悲しみから逃れていける気がして、泣いてしまった。