ボヴァリー夫人 フローベール

ボヴァリー夫人の小説はユイスマンスのさかしまの中で褒められていたので興味をもって購入した。さかしま以外でも言及がなされていたように思う。なんでもフランス近代小説の祖と言われているらしい。

 

実際おもしろくて、実家に帰る前日から読み始めて3日で上下巻を読み終えてしまった。不道徳な小説はそれだけでも興味をそそるが、ボヴァリー夫人が身を持ち崩していく過程にはらはらしてつい一気に読んでしまった。レオンと最初に分かれたときにはお互いに気持ちも打ち明けられなかったのが、ロドルフとの恋を経て再開したときには、レオンに「あまりに底深く秘められて、ほとんど形のないまでに縹渺たるみだらさを、エンマはいったいどこでおぼえたのであろうか」と思わせるまでになっている。女性が恋する男によって不可逆的に変えられていくのはとても興奮する。コルセットのひもを音を立てて引き抜いて、着ているものをかなぐり捨て、レオンにとびかかる描写がほんとに好き(p.220)。

 

不倫が題材として扱われているものの、「理想と現実」のギャップに悩んで身を滅ぼす人がテーマになっている、とどこかで書かれていた(下の表紙に書かれていた)。理想をどこまでも追い求めるが、それは頭の中にしかなく、現実では決して見つからない、というのはよく扱われているテーマのように思うが、それに対する処方箋は何なのだろうか。フローベールも「ボヴァリー夫人のモデルは私である」と言ったそうだが(そしてそれの元はさらにセルバンテスドン・キホーテのモデルを聞かれたときの受け答えにさかのぼるそうだが)、実際理想を追い求めて現実をないがしろにする性質は自分にもだいぶあるような気がして、本を読んでいる間はボヴァリー夫人に対して軽蔑を感じていたが、他人事ではないのかもしれないと思うと空恐ろしくなる。

 

文章も、恋人と恋に落ちるシーンは印象的に描かれていた。ロドルフとは、上巻の最後の、役人のご高説とロドルフの口説きとが交互に書かれていて、今からしても新鮮味を感じる表現だった。レオンとは、窓を閉め切った馬車を延々走らせている描写が続いた後、窓からちぎれた手紙(交際を断る旨を描いたもの)が捨てられることで、馬車の中で二人の関係に進展があったことがほのめかされていた。ボヴァリー夫人は自由間接話法という手法を使った点で文章としても新しかったようで、新潮文庫の新訳が原文を忠実に訳してその感じを味わうことができるようなので、時間を空けてそちらも読んでみたい。

 

ボヴァリー夫人が死んだ後も、他の登場人物のその後が描かれていて、それらが悲しみを誘って耐え難かった。特にルオー爺さんの描写は胸に来た。シャルルは最後まで善良に描かれていて、涙を誘う。

 

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ボヴァリー夫人 (上) (岩波文庫)

ボヴァリー夫人 (上) (岩波文庫)