体系的な文章のトレーニング本ではなく、著者の実体験から得た文章に関する知識を並べていったような本だった。
そのため、話の内容は全体的に散漫な印象を受けたが、なるほどと思わせられる説得力のある話も紹介されていたりして、意外とおもしろかった。
接続詞が文章の論理構造をつくる
例えば、著者は小学生向けの作文教室をしているそうなのだが、文章が下手な子の作文は使われている接続詞の種類が少ない、という話が紹介されていた(p.29)。
「きょう学校でスタンプラリーをやった。まず校庭にあつまって先生のせつめいをきいた。その次に、校門のスタートちてんに行きすこし遊んでいた。その次に時間がきたのでスタートして、だい一のちてんへ行った。その次に、歩いていくとむこうから先生がきて、こっちはちがうと言った。その次に、すこしもどったらまがるところをみつけた。(以下略)」
例として挙げられていた子は、接続詞を「まず」と「その次に」の2種類しか使えず、そのために出来事を時系列順に並べて伝えることしかできないのだった。
その事例から「接続詞は文章の論理構造を決定している」と抽象化され、いろいろな種類の接続詞が含まれる文章は論理展開が豊かであるという話に進んでいく。
Aという出来事がBという結果を生みだしたことを伝えるためには「だから」などの順接の接続詞を用いなければならず、Aという出来事が生じたのであるから次は当然Bが生じるだろうと考えていたのに予想に反してCという結果が生じた、という驚きを伝えるためには「だが」とか「しかし」などの逆接の接続詞を用いなければならない。
そのように使える接続詞の種類が多いほど、文章の中において表現できる文の関係性も多様になり、その結果として完成する文章の幅も広がる。
そういう目線で見直したことはなかったが、私の文章も実はワンパターンな接続詞ばかり使っていて、いつも同じ道筋をたどって思考していることがわかるのかもしれない。
文章がうまくなる方法
そもそもこの本を読もうと思ったのは、仕事で文章を書くことが多いので、それに少しでも役立てばと考えたからだった。
あと、高校生のころから断続的に日記(読書日記)をつけているのだが、いつまでたっても文章がうまくなっている気がしないので、なぜだろうと思ったのも理由の一つだった。
2つ目の理由に対しては、答えらしいものが本書の中で見つかった。
読み手を頭の中に想定して書け、ということを私はこの教室で何度も言ってきた。秘密の日記をいくら書いたって文章はうまくならない、ということである。女子中学生がノートを作って、そこに詩のようなものを百書いたって文章力はつかない。
文章とは自分を他者に伝えるためのもので、うまく伝えたい、できれば相手を同感させたいという目標を内在しているものなのだ。文章がうまくなるというのは、その目標に近づくことである。(p.200)
私が続けてきた日記は、特に誰かに伝えるためのものではなく、もっぱら自分のために書いていたものであったので上手くならなかったのだ。
なので、これからは読み手を意識してブログを書くことを通じて文章が上達すればと思った。